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『怖い』 その声が届いたネトシルは、胸を突かれたようにはっとした。 『怖い、鞭が怖い、でも火の輪も怖い、痛いの怖い熱いの怖い、跳ばなきゃ殺される跳ばなきゃ、どうしてこんな、どうしてどうして』 殆ど恐慌のような声は火の輪を前にしたライオンのものだった。 命を張った芸など、動物がなぜやるだろう? 自ら進んでやる訳などない。生存本能を盾に取られ、死の矛で脅されているからだ。 小熊より馬より遥かに危険な芸だ。するまでにどれだけ抵抗し、どれだけ痛めつけられ、どれだけ死の淵を見ただろう? 死神が鎌をそうするように、団長が鞭を振り下ろした。 ぱしぃんっ! その音を合図にライオンが駆け出す。 針が刺されば考える前に手を引っ込めるような、反射。傷を付けた上から色を染み込ませた刺青のような、反応。 四肢を撓ませ、戻る力で跳躍! 鬣を靡かせ、獣の巨体が宙を舞う! 眼前に迫った炎の門にライオンは猛々しく吼えた! ネトシルの耳には、それが絶叫に聞こえた。 観客全てが息を止める。 長い一瞬。 前脚を。顔を。腹を。尾を。そして後脚を黄金に輝く炎の舌が舐め、 ドンッ!! 見事、ライオンは輪をくぐり抜け着地した。 脚が床を叩く音が聞こえた瞬間、ネトシルの中で何かが爆ぜた。 全身の感覚が遠のく。視界が一色に染まるような錯覚。脳内が一つの感情に支配される。 怒り。 「ぉおおぉぉぉっ!!」 舞台の上の団長を憎しみに燃えた眼で見据え、ネトシルは知らずナイフに掛けた手を握り締めて立ち上がった!! そして。 放たれた矢のように疾く動き出した足は。手は。横合いから伸びた手によって止められていた。 ナイフを抜こうとした手、そこに重ねられた手によって。体の中心、動きの中心を留められ、腕一本で全ての動きが封じられる。 慣性でがくんと体が傾ぐ。その手が抜かれかけたナイフを鞘に押し戻し、次に肩を押さえて体勢を戻し、座らせる。 怒りに我を忘れていたネトシルは、そこで漸く自分の復讐の邪魔をされた事に気付いた。 隣に座った腕の主へ、行き場を失った赤い心が爆ぜる。 「何故止めるッ!?」 焼き尽くしそうに苛烈に燃える眼が出会ったのは、包み込む木々の葉色の瞳。その静けさに呑まれた。 「考えろ。今ここで、それをやったら。関係のない被害がどれほど出る?」 エルガーツは酷く落ち着いた声で言った。 その言葉はネトシルの心に投げ込まれゆるやかに波紋を穿ち、深く沈んでいった。 もはやいつから握っているかわからないナイフから、そっと指がほどけた。 「お前がしたいのは何だ? 傷付けられてはいけないのは何だ?」 ネトシルの瞳を真っ直ぐに見つめて、エルガーツは殊更落ち着いて問い掛けた。 「私は……」 彼自身、自分がこれ程までに冷静なのを不思議に思った。 咄嗟に腕が伸びたのは、さっきから様子が気になり、少し注意を払っていたから。間に合って良かった、意識を向けておいて良かったと心から安堵している。それもある。 多分一番大きいのは、悟ったから。ネトシルの言動の意味を。 彼女は解っていたのだろう。恐らく、最初から全て。 冷静になって考えれば、動物の声など聞こえなくとも火の輪くぐりなど動物には無理を強いている芸当だと解る。 サーカスに行こうと突然言い出したのは、動物の曲芸の話を聞いた直後だった。曲芸には調教が伴う事を知っていたのだろう。思えばあの時照れ隠しだと思っていたのはそれに対しての怒りだったのかも知れない。 開会の前に言ったあの言葉は、きっと見ればこうなってしまうのを予想しての事で。開会の時、団長を見つめていたのではなく睨んでいて。曲芸の前のあの目つきは期待ではなく食い入るように見据える為で。見た後の泣きそうな表情は、調教に痛めつけられた動物の声を聞いたからで。 その全てを、今になってやっと……悟ったから。 それでも。どれほど気持ちが理解出来ようと、止めろと言ったのは本人で、そうする事は間違っている。 エルガーツの視線は、音もなくネトシルの瞳の奥を貫く。 ネトシルは途切れた言葉の後を繋げる事が出来ず、耐えきれないように目を逸らして小さく零した。 「……止めてくれて、有難う。恩に着る」 「いや……オレこそ、そうなるまで気付いてやれなくてごめんな」 その言葉に、驚いたように振り返る。エルガーツは言葉を続けた。 「ネトシルが立ち上がるまでわかんなかったけど、お前わかってたんだろ。動物の曲芸と……調教、の事。曲芸の時にも、お前だけにはなんか聞こえたんだよな? やっぱりオレには聞こえなかったけど、そうまでなるならよっぽどの事聞いたんだろうなって思って」 聞こえた言葉を反芻したのか、ネトシルは痛ましげな表情になった。そして、確かに頷いた。 ネトシルの凶行はエルガーツによって阻まれた。立ち上がった事も叫んだ事も、興奮し思わず腰を上げた観客の歓声や拍手喝采に掻き消され、気付いた者は彼らの他にいなかった。 全てのサーカス団員が舞台上に出て礼をし、観客は再び割れんばかりの拍手を送った。 熱気と興奮と少しの寂しさだけ余韻に残して、サーカスは何事もなく終演した。 戻る 進む .
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この国には、何年も前から奇妙な獣が徘徊するようになった。 人々がいつしか《混ざりもの》を意味するラーグノムと呼ぶようになったその獣たちは、人々がよく知っている獣を混ぜ合わせたような姿をしていた。 あるいは、猫と犬の。あるいは、牛と馬の。 この奇妙な獣たちは、ある一つの特徴があった。狂ったような凶暴性である。小さなラーグノムが大きなラーグノムを襲い、人の武器や相手の数の多さを恐れない。 ネトシルは、獣の声を聞き、その意味を理解する事が出来るがゆえに、その凶暴性の理由を知っていた。それは、何者かによって作り出された彼らは常に苦痛に苛まれているから、というものだった。 彼らを救うには、その命を絶ち、その魂を混ぜ物の身体から解き放つしかない。ラーグノム自身もそれを望むが故に、死を恐れぬような、むしろ自殺的な行動を取るのだ。 苦しむラーグノムを救いたい。そんなネトシルの考えに同調した流れの傭兵エルガーツは、彼女と共に旅を始める事を決意。 二人はラーグノムに関する情報を集める為、隣の町ドノセスを経由して都市ワイティックを目指していた。 次の町ドノセスには驚くべき事に昼前に着いた。 「ぜー、はー、うー」 「体力ないな」 「いやお前の足が速すぎるだけだから!」 半日の道を、その四分の三の時間しかかけずに行った。途中で何度かラーグノムに襲われもしたのに、だ。 なのにこの女はこの程度当然だとばかり汗ひとつない涼しい顔をしている。この女はケモノだと思ったが、実はバケモノだったのか。コンパスはオレの方がとか思い始めるとエルガーツは本格的に情けなくなってきた。 昼時のメシ屋兼以下略は妙に混んでいた。村全体の空気も何故か少し浮ついている。 「何か祭でもあんのか?」 「興味ないな」 ネトシルは捻り麺の野菜和えを結構なスピードで平らげつつ素っ気なく答える。 こいつに聞いても無駄だった。そう思い、エルガーツは近くに座っていた旅人らしき若い男に話しかけてみる。 「なんか賑やかな感じだけどさ、何かあるのか?」 「何ってキミ、知らないの?」 旅人は大いに驚いた様子だ。エルガーツはそれでも素直に答える。 「あ、うん」 「今夜はね、この村でサーカスが上演されるのさ!」 大仰に両手を広げ、もうたまらないとばかり、とびっきりうきうきと旅人は答えた。 「サーカス?」 「そう! 旅回りのサーカスでさ、小さいトコなんだけどそりゃあもう楽しみで。あぁっ! 早く夜にならないかなぁ!」 もはや旅人は踊り出しそうな勢いだ。わくわくする病か何かに感染しているのだろうか。 「へぇ、教えてくれてありがとう」 このあたりで会話を止めないと、嬉しさのあまりこの旅人こそ曲芸でも始めてしまいそうなので、エルガーツは礼を言ってネトシルを向いた。 「だってさ」 おそらく今の会話はネトシルにも聞こえていただろう。 「オレ、そういえばサーカス行った事ないなぁ……なぁ、オレ達も行かないか?」 その病は既にエルガーツにも感染ったらしい。 「断る」 即刻切り捨て得意技。冷たい視線のおまけ付。 「……そうか……」 がっくりと肩を落としたエルガーツだった。ネトシルは当然とばかりフンと鼻を鳴らした。 「おやおやおや~ぁ? そっちのお連れさんは随分とつれないねぇ。 あ! お連れさんなのにつれない、これ面白くない? ねぇ面白くない?」 そこで会話に割り込んで来たのは先程の旅人だ。 「黙れ」 流石にネトシルでなくてもこの反応になるだろう。 「そもそもサーカスとは何だ?」 真顔でネトシルは聞いた。何かすら知らずに行かないと否定したらしい。 「え、ちょっとサーカスも知らないの? どこの田舎出身?」 「喧しい」 赫怒のオーラがネトシルの背後から立ち上った。出身地に何かコンプレックスがあるようだ。 「ま、まぁいーや、そんなことはどうでも、ねっ」 流石の軽ノリ旅人もちょっとたじろいだ。しかしすぐにテンションを戻しぺらぺらと喋り始める。 戻る 進む .
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第2部 第4話 帝國軍監視哨 ルルェド南方約120キロ付近 マワーレド川 2013年 2月14日 13時42分 帝國徴用兵ルワンにとって、今日は人生で最もツキがない1日だった。 ちょっとしたヘマを今日に限って伍長に見咎められ、配給を減らされた上に薪拾いまでやらされる羽目になった。 その最中、騙し騙し使っていたブーツが遂に破れてしまい、泥濘にはまり込んだ足が気持ち悪い。ヒルに食いつかれているようだ。たまらなく痒い。 昼飯に薄い堅焼きパンを一切れ水で腹に流し込んだあと、いつもなら夕刻まで休みなのだが、どういう訳かすぐに立哨が回ってきた。「俺の番じゃないだろう?」と文句をつけたら「博打の負けは立哨の肩代わりで、って言ったのはお前だろう」と返された。 そうだった。くそったれめ。 マワーレド川の河畔に繁る熱帯雨林を僅かに切り開いた猫の額ほどの土地に、監視哨は設けられている。ここは少し前までチット村と呼ばれていた。川エビ漁と水先案内で生計を立てる貧しい漁村だった。ルワンの故郷だ。 そんな村だから、帝國軍が現れた際にはすぐに平伏して支配下に入るしかなかった。幸いにも奴らは寛大だった。村に拠点を築き食糧と徴用兵と女を取り立てただけだったのだ。命をとられなかったのだから幸運なのだろう。彼はそう信じようと努力している。 村を支配するのは指揮官の下に魔導士が一人と帝國軍兵士が20名程。その彼らが30名程の徴用兵を動員して遂行する任務は、警報器となることである。 帝國南方征討領軍ジャボール兵団は、主力の前方に彼らのような複数の前哨部隊をばらまいていた。彼らは、毛細血管のように熱帯雨林を流れるマワーレド川流域に点在する漁村や農村を次々と占領した。 南瞑同盟会議は自己の勢力圏を侵食され、その結束と国力を大いに削がれるとともに、反撃の動きを秘匿することが困難になってしまった。 有力な輸送路であるマワーレド川流域に無数の帝國軍前哨部隊が展開することで、こちらの部隊行動が素早く帝國軍主力に伝わってしまうのだった。 灰色の水面と、鮮やかな緑色が広がる熱帯雨林をルワンは死んだ魚のような眼で見張っている。照りつける太陽は彼の肌を焼き、栄養不足の脳は彼に緩慢な動作しか許さない。 ちくしょう。〈帝國〉のくそったれ。同盟会議のくそったれ。彼はこの世の全てを呪いながら、粗末な銛に寄りかかるしかなかった。 「おい、貴様ァ! ぼさっとせずにしっかり見張れ!」帝國軍の伍長が顔を真っ赤にして怒鳴った。槍の石突きで小突かれる。 「す、すいません……」ルワンは力なくよろけた。腹に力が入らない。 「ふん、虫けらめ。生かしてやっている恩を忘れるな」 伍長の理不尽な言動に、ルワンは涙ぐんだ。村はいつまでも食い物にされるか、どんなきっかけで根絶やしにされるか。絶望しか感じられなかった。 ああ、誰かこの帝國野郎をぶっ殺してくれ……。 そう願うルワンの滲んだ視界の中、南の方向に水面を走る何かが見えた気がした。遠雷のような音が聞こえる。 そして、彼の願いは叶えられた。 「ガヒュッ!」伍長の口から聞いたことが無い声が漏れた。 振り返ると、ルワンよりはるかに体格の良い伍長の、鎧で守られた胸板に小さな穴が開いていた。同時に、その背後に繁る木の幹が湿った音を立てた。赤黒い伍長の一部がまき散らされているのだ。 何が起きたのかわからないまま、伍長は口から鮮血を吐き出し、地面に崩れ落ちた。 「ご、伍長どの?」返事は無い。激しく痙攣する身体には、すでに命の気配は無かった。 「やった! 死んだ! やっ──」 ルワンは願いが叶えられたことへの喜びを最後まで表すことが出来なかった。約300メートル先から飛来した7.62ミリNATO弾は、大きく開いた彼の口腔に飛び込み、周囲の全てを破砕しつつ進んだ。 弾頭は程なく彼の脳幹に到達し、そこに存在する組織を根こそぎ断ち切り、彼のツキのない人生に終末をもたらしたのだった。 時を同じくして、ルワンの周囲では立哨中の兵士たちがことごとく狙撃を受け、血煙を上げて声もなく倒れた。 「全目標を無力化」 観測手が報告した。 狙撃手は照準眼鏡を覗いたままボルトを操作し、M24対人狙撃銃に次弾を装填した。ドーランの塗られた顔には緊張と隠しきれない興奮がある。 「突入部隊に通報」 「了解──スパロウ、スパロウこちらフクエ『閂は開いた』『閂は開いた』送レ」 小隊長の命令を受け、無線手が符丁をコールする。歩哨の排除成功により、移動中の突入部隊は奇襲に成功するだろう。 程なく、村の方角から雄叫びと悲鳴が聞こえてきた。南瞑同盟会議水軍歩兵が村に突入したのだ。 「後詰めに行くぞ。小隊集まれ」 命令を受け、2型迷彩にブーニーハット姿の陸自西部方面普通科連隊所属の狙撃手たちが、小隊長の周囲に集まり始めた。 村を占領していた帝國軍は、南瞑同盟会議水軍の切り込み隊によって殲滅されていた。あちこちに切り裂かれた死体が転がり、一部の家屋から煙が立ち上っている。 帝國軍指揮官は接収した家の中で村の女を抱えこんでいるところを急襲され、死亡したのが確認された。 狙撃分隊を含むWAiRの一個小隊は、村落の入り口近くで停止していた。 「敵兵は全て殺害。魔導士の死体も確認しました。『導波通信』でこちらの攻撃を通報されたかどうかは不明だそうです。村の被害もかなり……いくらが巻き添えも出ているようです……」 「戦闘は終結しました、小隊長。以後は村民の救援に当たってはいかがでしょうか?」 普通科分隊長が意見具申した。しかし、小隊長は顎をしゃくって傍らに転がる歩哨の死骸を差し、言った。 「見ろ。こいつは村からの徴用兵だ。こいつらを含めて村人は大分死んだ。殺したのは俺たちだ。帝國軍の侵攻から守ってもらえず、戦闘に巻き込まれて山ほど殺された村人の気分を考えてみろ」 「怨みますね」分隊長がつぶやいた。 「そうだ。南瞑の連中も徴用兵や帝國兵にブンガ・マス・リマをやられて殺気立ってやがる。そんなところに入っていく必要はない。俺たちは黒子に徹するぞ。 俺たちが姿を見せなければ、怨みの矢面に立つこともないし、敵は南瞑同盟会議水軍に襲われたと思うだろう」 「キツい話です」分隊長は肩を落とした。小隊長は分隊長の背中をどやしつけて言った。 「これが戦争だ。しかも奪還作戦だ。俺たちWAiRの戦いだぞ。しゃんとしろ!」 「先任、あたくしたちの強みが何なのかおわかり?」 西園寺三佐が楽しそうに言った。地上部隊からの報告を受け、第1河川舟艇隊は村落付近まで前進している。帝國軍の監視哨が存在した地点では、すでに戦闘は終結したようだった。 久宝1尉は、艇尾付近に据えられたM2重機関銃に目をやりながら答えた。 「火力、でしょうか?」 「つまらないわね」西園寺が冷たく斬って捨てる。「あたくしの幕僚の答えが『火力』だなんて、平凡すぎる。そんな答えは特科のみなさんにお任せすれば良いのよ」 「では、司令はどのようにお考えですか?」 久宝の質問に西園寺は逆に問い返した。 「それじゃあ先任、あたくしが好きなことが何かご存知?」 久宝の脳裏には「弱い者いびり」という言葉が浮かんだ。口が滑りそうになる。多分これは正解であり、同時に間違いだ。もしもうっかり口にしようものなら、それが『正解』であることを我が身をもって体験できるに違いない。 久宝は身震いし「攻撃ですか?」と当たり障りのない答えを返した。 「……そうね。『攻撃』は好みだわ。あたくしは人に振り回されるより振り回す方が優雅な行為だと信じているわ」西園寺は真摯な口調で言った。 「全く同意します」久宝が頷く。 「……何かひっかかるわね先任、まぁいいわ。攻撃に必要なのは『速度』の優越よ。あたくしたちは部隊の機動速度と意志決定速度で敵とは比べものにならない。そこが強みだわ」 なるほど、司令らしい考えだ──久宝は上官の言葉に納得した。近世以前レベルの異世界軍に対して、現代軍たる自衛隊の『速度』は隔絶している。部隊の移動速度や情報伝達速度は比べものにならない。 「ここはルルェドから南へ120キロ。帝國軍の常識に照らせば約10日の距離よ。あたくしたちの襲撃がたとえ敵に知られたとしても、明日にはルルェドに到達するとは思わないわ」 「奇襲を狙うのですね」 「そうよ先任。あたくしたちは敵の意志決定速度を軽々と追い越して、ルルェド攻囲軍を叩くの」 西園寺は北を指差した。すらりとした美しい指先が、苦闘を続ける同盟軍の城塞の方角を示していた。 帝國軍の監視哨を潰した第1河川舟艇隊は、速やかにWAiRと水軍部隊を収容し進撃態勢を整えた。作戦発動以降、すでにリザードマンからなる警戒部隊と2ヶ所の監視哨を潰している。 このあとは敵の監視哨を避けるため分岐点から支流を進み、14日2300時までにルルェドまで40キロの地点に到達。その先は警戒網の回避が困難と見積もられるため、速度を上げ一気に突破を企図する。 順調に行けば揚陸予定地点到達は明朝0300時である。 西園寺三佐の第1河川舟艇隊は15日0500時をもって別働隊と会合。払暁と同時に帝國軍ルルェド攻囲部隊を攻撃する計画であった。 ジャボール兵団攻城隊 ルルェド西壁正面 2013年 2月14日 16時27分 盛大な擦過音と木の軋む音を残し、大型の矢が城塞へ向けて放たれた。砲台長の怒声のような指示を受けて、筋肉を盛り上がらせたオークたちがバリスタに取り付き機力を用いて次弾をつがえ始める。 醜悪な外見を持つが人類を超える膂力を誇る妖魔たちのお陰で、帝國軍のバリスタは諸外国軍より遥かに長射程を手に入れていた。当然、バリスタには魔導の加護も加えられている。 「放てェ!」長弓兵隊指揮官が叫んだ。 バリスタの前方に放列を組んだ長弓兵たちが虚空に矢を放つ。ザァという音とともに、南瞑同盟会議ルルェド領主軍の籠もる城塞に向けて、数百の矢が飛んだ。 彼らジャボール兵団攻城部隊が陣を張っているのは、数日前まで同盟会議軍のものであった西岸の支城である。石造りの堅牢な城壁の上に、攻城用大型バリスタ12基とカタパルト4基を据え、日の出からひっきりなしに投射を続けている。 城壁破砕用の重量弾が水面に落下し、派手な水柱を上げた。その上を焼夷榴弾が通過し城壁に当たって炎を噴き上げる。戦場には地鳴りの様な音が絶えず響いていた。 約500名の長弓兵が放つ矢の雨の下。川面を一斉に漕ぎ出す舟の群れが見えた。 遠戦火力の支援射撃下で、帝國軍ジャボール兵団の歩兵部隊がマワーレド川渡河攻撃を開始したのだ。 投入された兵力は半個徴用兵団約500名。彼らは損害を省みず城壁に取り付き梯子を掛けなければならない。 彼らが成功すれば第二陣として待機するゴブリン軽装歩兵団約1000名が城内に雪崩れ込む算段だ。 ──だが、徴用兵の半数が城壁付近に到達した時、城兵が反撃に出た。 帝國軍の火制下にあるはずの城壁のあちらこちらから、狙いすましたファイアーボールやライトニングボルトが徴用兵の乗る小舟を直撃する。被弾した小舟はたちまちのうちに燃え上がり、悲鳴を上げながら兵たちが川に転がり落ちた。 丁寧に掩蔽された狭間からクロスボウの矢が放たれる。矢を胸に受けた小隊長がもんどりうって倒れ、大きな水柱を上げた。 城塞守備隊から猛烈な射撃を受け、徴用兵団はあっさりと混乱した。 「ええぃ! 奴らの火点を狙え!」 苛立った声で長弓兵指揮官が命令するが、組頭は「無理です」と答えた。 「我らは一点を狙う訓練を受けてはおりません。選抜弓兵でなければ遠矢は手数で押すのが精一杯でございます」 「うぬぅ……」 長弓兵指揮官はうなるしか出来なかった。大型バリスタは射角の変更に時間がかかりすぎるし、カタパルトは狙って放つものではない。前線に火力支援の魔術士や長弓兵部隊を推進することで解決は可能なのだが、この戦場ではマワーレド川がそれを阻んでいる。 辛うじて掛けられた梯子に勇敢な兵が取り付くこともあるが、すぐに城壁の上から煮え湯を浴びせられ水面に落ちた。 「左! 梯子が掛かったぞ!」 切羽詰まった警告が城内に響いた。 「叩き落として!」 西壁のルルェド家臣団を率いるカーナ・ハヌマがすぐに指示を出した。手近な数名が斧を担いで走り出す。 「そりゃあ!」 力任せに振り下ろされた斧の刃が必死に掛けられた梯子を叩き折り、梯子は哀れな徴用兵ごと地表に落下していった。 老齢の魔術士が物陰に隠れたまま呪文を詠唱する。最後の印を切ると魔術士は素早く身を起こし、川面を迫る帝國軍の小舟にスタッフを振り下ろした。火球が生まれ飛翔する。わずかに手前の水面に着弾、盛大に水蒸気が噴出する。小舟はバランスを崩し転覆した。 「やったわ! さすがパームアン師ね。でも、すぐに移動して!」 「うむ」老魔導士は孫ほど年の離れたカーナの指示に素直に従い位置を変えた。 彼女の手勢は100名に満たないが、よく城壁を守っている。掩蔽された射座から矢と攻撃魔法を放ち、慎重に位置を移動することで、損害は最小限に抑えられていた。天然の障害物たるマワーレド川の効果は絶大で、敵は多勢の利を活かすことが出来ていない。 城壁に巨石が弾着した。重々しい音を立て、足元がわずかに震える。カーナは身を固くし、一瞬怯えの色をその顔面に浮かべた。 「城壁に被害なし! ルルェドの堅牢さを舐めるなよ帝國軍!」 危険を押して顔を出し状況を確認した兵が勝ち誇った。カーナは安堵し、曾祖父に感謝した。 ひいおじいさま。貴方の普請した城壁のおかげです。ありがとう。 「見張りから報告! 蛇が来る!」 「見えたぞォ! 西方よりワイアーム、突っ込んでくる!」 カーナは視線を西方の空に向けた。彼女の目が曇天に胡麻粒程の存在を見出した。有翼蛇が襲撃機動に入ったのだ。カーナは、大急ぎで指示をとばした。 「蛇が来る! みんな姿を隠して!」 カーナは自らも手近な物陰に身を伏せた。部下たちも慌てて身を隠そうとする。一部の兵は目の前に掛けられた梯子を叩き落とし、迫る敵兵を射落とすために敢えて身を曝していた。 豆粒ほどであった有翼蛇は、すでにその恐るべき口腔の鮮やかな赤色が見えるほどの位置にあった。空中を滑るように迫る。 「くそったれの裏切り者どもめ! 俺の小便でも喰らえ!」 カーナの手勢が敵を罵りながら矢を放っている。甲高い奇声が辺りに鳴り響く。くぐもった音。視界の一部が赤く染まる。 湿った着弾音とあとに続く轟音。熱風がカーナの頬を撫でた。 思わず眼を閉じた彼女が数秒ののち見たものは、たいまつのように燃え上がる部下の姿だった。カーナは両手で口を覆い絶句した。地獄の亡者を思わせる絶叫が耳を打つ。 有翼蛇の火焔弾攻撃は、10名近い兵士を殺傷していた。もともと少ない城塞守備隊にとっては無視できない損害である。何より、幼い頃からの顔見知りが真っ黒い塊に成り果てる姿は、まだ少女と言ってよいカーナの精神を手酷く痛めつけた。 その間にも帝國軍はじりじりと城壁に迫っている。城塞からの射撃が衰えた隙をついて、複数の梯子が掛けられた。 「お嬢! 下知を!」 家臣が声を掛ける。辛うじて気を立て直した彼女は、射撃の再開を命令した。城壁のあちこちから攻撃魔法が放たれ、敵の再攻撃を撃破する。だが、城兵の損害はホディーブローのようにルルェドの体力を奪いつつある。 この調子で、一体どれくらい持ちこたえられるの? 有翼蛇がまた来たら……。 カーナは、不安げに西の空を見上げた。野鳥の群れが南へと飛んでいる。彼女はそれを羨ましいと思った。自分たちには、周囲を埋める一万の敵軍を越えて安全な場所へ逃れる術はないのだ。 帝國軍による城塞本体への総攻撃開始から3日。ルルェドは頑強に抵抗を続けていたが、それがどれほどまで続けられるのか前途に暗雲が立ち込めつつあった。 「いかんな、兄者。士気が持たん」 シリブローが諦めたように言った。 ルルェド城塞西側に強襲をかけたジャボール兵団の先手は、有翼蛇の支援攻撃で一旦弱まった防御火力の隙を突き、城壁に迫ったように見えた。 しかし、思いのほか敵の立ち直りが早い。何本も掛けられた梯子が、幼子に蹴散らされる積み木のように次々と倒れている。徴用兵たちは川に叩き落とされていた。 「ゴブリンどもを投入するか? 飛行騎兵はあとにとっておかねばならんから、無理攻めになるが」 先手の徴用兵団が崩れる様を見て、副将はゾラータの判断を仰いだ。 「城壁を突破できるか? うん?」 ゾラータは腕を組んだまま訊ねた。 「無理だな兄者」シリブローがあっさりと言った。「カタパルトとバリスタもそろそろ腱か切れるものが出ておる。兵だけの無理攻めでは到底落ちまいよ」 「ならば、無益か?」 「いや。夕刻まで攻め立てれば、敵も疲れようぞ、兄者」 シリブローは雑兵の損害など気にもかけていないようだった。もちろん兄弟であるゾラータも同じである。 帝國南方征討領軍を率いる将帥たる彼らは、目的の為なら手持ちをどう使っても良いのだと、常日頃から確信している。 ゾラータは決心した。 『先手及び第二陣は、ルルェド西側城壁に対する強襲を継続せよ。攻城隊は引き続きこれを支援せよ』 この命令により、徴用兵団とゴブリン軽装歩兵たちは、城兵を疲弊させるために、己の命を城壁に叩きつけ続けることを強いられることになる。 ラーイド港区 ブンガ・マス・リマ 2013年 2月14日 17時05分 時刻は夕方になろうとしているが、日はまだ高い。日差しは衰え知らずで、昼間より長く延びた影だけが、時間の経過を示している。 〈ニホン〉の騎士団は、ラーイド港区北側の広大な土地を瞬く間に馴らしてしまった。そして、そこに塔をひとつと、いくつかの大きな館を建てた。中を見た職工は、館の中ががらんどうになっていることに驚き、『一体何に使うのだろう』と、頭を捻った。 交易商人は、荷をしまい込む倉だろうと言った。〈ニホン〉の人々は、猛烈な勢いで様々な荷をラーイド港に運び込んでいる。多くの人が、その意見にうなずいた。 大地母神の司祭は、神殿だろうと当たりをつけた。まだ聖遺物や御神体の類は運び込まれていないが、彼らの信じる神々に祈りを捧げるのだと想像した。 どれも違う。 ブンガ・マス・リマの邏卒であるマラータは確信している。 ある風の強い夜。皆が異様な羽音を聞いた。帝國軍の暴虐の記憶がまだ新しいブンガ・マス・リマの民は不安な一夜を過ごした。 翌朝、相棒と巡回を始めたマラータの目に、昨日と全く異なる景色が飛び込んでいた。ラーイド港の沖には、〈ニホン〉の巨大な箱船が3隻も浮いていた。箱船はすぐにいなくなったが、代わりに見慣れぬものの群れが、地上にあったのだ。 巨大な胴と、長く突き出た尾。胴体の上には風車のようなものが、何故か寝かせた状態で付いている。姿形は様々で、丸いもの、角張ったもの、一際巨大なものと、どれも異形と言ってよかった。 赤い太陽を示す〈ニホン〉の紋章が描かれているところを見ると、彼らのものなのだろう。異形の群れは整然と並べられている。 (交易品? 神像? 絶対に違う) マラータにはその姿が理解できないが、『それ』が発散する空気は圧倒的なまでに猛々しく、彼に二つのものを連想させていた。 一つはブンガ・マス・リマを巡る戦いで帝國軍を粉砕した魔獣〈キュウマルシキ〉 そしてもう一つは、故郷の人々が恐れる巨大な人喰蜂の姿であった。 ぼぅっと眺めていると、建物の方から〈ニホン〉兵の集団が駆け足でこちらへ近付いてきた。最近ようやく見慣れてきた斑模様の軍装に身を包んだ男たち。彼はそちらを見て、自分の考えが正しいことをさらに確信した。 あんな目をした連中が関わっているんだ。これが戦に使うもの以外で有るはずがない。 以上です。 ついでにルルェド攻防戦の彼我の兵力を書いておきます。こういうのって考えるのは楽しいですが、人にお見せするのは恥ずかしい気分になりますね。 御意見御質問御感想お待ちしております。 ジャボール兵団 総勢13000余 主将ゾラータ・ジャボール 副将シリブロー・ジャボール 本営警護隊 400 二個軽騎兵隊 1000 一個重騎兵隊 500 一個ヘルハウンド隊 200 四個オーク重装歩兵団 2000 四個ゴブリン軽装歩兵団 4000 一個選抜猟兵隊 200 二個コボルト斥候隊 400 二個オーガー突撃隊 400 二個徴用兵団 2000 弓兵隊 1000 攻城隊 1000(バリスタ×16、投石器×8) 魔術士隊 50 その他軍夫、輜重等多数 一個〈帝國〉飛行騎兵隊 魔獣遣い 12名 翼龍騎兵 36騎 有翼蛇 36頭 『ルルェド』守備隊 約500 領主 ティカ・ピターカ・ルルェド ハンズィール傭兵隊 約200 家臣団 約200 神官戦士団 約100 第1河川舟艇隊 司令 西園寺麗華三等海佐 幕僚 久宝健一等海尉 旗艦 交通船 YF2137 交通船(LCM)4隻 2121 24 25 27 運貨船4隻 YL9号型 9 10 11 12 特別機動船6艇 曳船4隻 YT50t型 77 82 83 87 カッター8艇 漁船(船外機付)10隻 海上自衛隊舞鶴特別陸警隊一個小隊 約40名 陸上自衛隊西部方面普通科連隊(WAiR) 第1中隊及び支援部隊 約200名 南瞑同盟会議水軍刀兵隊 約400名
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第十九話 丸山は静かに出て行った。 騒ぎは静まろうとしない。私は必死に冷静になろうとした。 相手が例え危険な暴漢だとしても、これだけの人数の護衛がいて、 なぜ捕まえられない? 何か武器を持ってるのか? 「メリー」だとしたら死神の鎌を持っている・・・? 止せばいいのに・・・私は恐怖に怯えながらもドアの外へ出て行こうとした。 扉の外・・・広間があり、その向こうは和室であった。 先ほど、異形を見たのはその和室でだと思う。 応接室の入り口から見えない和室の向こうの部分では、怒鳴り声と争いあう音が聞こえている。 既に応接室では足の踏み場がないほどだ、スリッパを履かせてもらってなければ、ガラスで足を切りそうだ。 あたりを慎重に見回し、ゆっくり移動しているうちに騒ぎは静かになってきていた。 いや、騒ぎの音が少なくなったというべきなのか・・・、 応接室から和室へ移動する際、廊下で仕切られているのだが、 その廊下じゅうに・・・秘書やガードマン達の肉体が転がっていた! 血の海であった・・・。 転がっている身体は、全く動かない者・・・ピクピクと痙攣している者、 身体の一部分がなくなっている者・・・私の足からはもう、力が抜け去ってしまい、動くことができずに、そこにしゃがみこんでしまった。 気がつくと廊下の先から、ゴッ ゴッ とゆっくりとした足音が聞こえている。 木製の廊下でハイヒールを履くと、こんな音がするのだろうか? 私の視線は廊下の壁に釘付けになった・・・。 壁に「それ」の影が映っていたからだ。 もう男達の声も、争う音も聞こえない。 影はだんだん、こちらに向かって近づいてくる・・・。 そしてついに、細い廊下の先に、不気味な光の鎌と共に、 私の眼前に 「彼女」が姿を現した! 紛れもない人形! 銀色に光る長い髪、薔薇の刺繍の黒いドレスを纏い! ウェストは白いコルセットで締められ、肩やドレスの裾からは折れそうなほどのか細い手足! そしてその素肌は不気味なほどに青白い・・・! ゆっくりとした動作で「彼女」はこちらを振り返った・・・私の存在に気がついたのである。 彼女は銀色の瞳をグルッと動かすと、文様のある大きな鎌を振りかぶって近づいてきた! ああぁ・・・百合子! 麻衣ッ! ⇒
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第十二話 突然、私の携帯が鳴った。編集長からだ。 「神父様、すいません、失礼します。」 神父はどうぞ、というジェスチャーをとった。 「ああ、編集長、おはようございます、すいません、正午までにはそちらに・・・? えッ!? 隣町で建設会社の作業員3人の斬殺死体ッ!? その建設会社って、あの県議会議員の一族が経営している・・・ハイ、すぐに・・・!」 私は反射的に神父に目をやった。初老の神父は目を見開いて驚いた様子だったが、静かに十字を切って天を仰いだ・・・。 他にも聞きたい事があったのだが、私は神父に別れを告げ、地元の新聞社に向かった。 そこで手に入れた情報を整理してみると、斬殺死体は、正確には、 建設会社の末端の子会社で、ヤクザのダミー団体とも言われていること、また、そのうち二名は、 この会社に昨年から働いている中国人労働者のようだ。三名は、 作業現場のプレハブ小屋で酒盛りをしていたが、その前までは町の風俗店にいたことが判っている。 作業現場は荒らされており、激しく争っていた様子が伺えられる。 死体は全て鋭利な刃物によって切り刻まれ、日本人男性の携帯には、 直前まで何者かと、短い間隔で何度か通話していた記録が残っていたという。 私は、昨日までのまとめた原稿と、今回の事件の速報を編集長に送り、 「今後さらに急展開する恐れがある」ことを伝え、了承をもらった。 人形の件は伏せておいたが・・・。 薄暗い、曇り空の事件現場では、警察が厳戒体制を敷いていた。 私は昨日、老夫婦の心中の件で私を聴取した、若い刑事をその場で見つける事ができた。 「いやぁ、昨日はどうも」 若い刑事は立ち入り禁止区域外にいた。 「ここは刑事さんの管轄ではないんじゃあないのですか?」 刑事はためらってた様子だったが、私に口を開いてくれた。 「別件ですよ、・・・多分もう、発表するだろうから言いますけど、 監禁事件の方、二件の被害届けが取り下げられた。 じき、森村容疑者は拘置所を出ます。」 「何ですって!? そんな馬鹿な! 何故、被害者が・・・!?」 言いかけて、ハッと恐ろしい考えが私の頭に浮かんだ・・・。 「ま、まさか・・・、あの自殺とされた女の子の事が原因で・・・。」 ⇒
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目が覚める。これで何度目だ。 「あー…糞…」 眩い光が目を刺す。どうやら照明の様だ。 一先ず、俺は起き上がった。 まず、感覚している限り身体に変化は無い。意識を失う前にマクスウェインの部下に殴られた箇所も痛いままだ。 それから、周囲を見回した。 「う、うう…」 「痛たた…」 「さ、寒い…」 「くそ、何だここはぁ!!」 響き始める幾つもの声。 俺は意識を失う前の出来事を思い出していた。 ああ、地獄に来たってことか。 照明は眩く輝き、その室内には俺の他に7、8人の男達がいた。 スーツの人間、私服の人間、港湾労働者らしい作業服の人間。人種も年齢も様々だ。 そしてこの部屋は円柱形の部屋で、周囲の壁には何も無かった。 一箇所だけ出口らしき鉄製の扉があるが、恐らく開かないだろう。無理やりこじ開けるには何十人もの力が必要そうだ。 そして――恐れていた通り、部屋の中央には大きな井戸のような丸い穴があった。 穴の底は暗くなっていて見えない。だがどこまでも続いていそうだ。 そして、その穴からは冷たい風が室内に流れ込んできていた。 「あんた、何故ここに?」 俺は先程受けた暴行で痛む口の中を堪えつつ、近くにいたスーツ姿の男に話しかけた。 「わ、私は検事だ。夜中に事務所で書類を整理していたら、突然男が現れて…気がついたらこの部屋にいた」 検事。そう聞いて、俺は自分の推測を口にした。 「近いうちにロワイアル・ファミリーに関係しそうな案件を担当する予定だったか?」 「ロワイアル・ファミリー…あの、マフィアのか。確かに来週、その組織に関係している男の案件を担当する予定だったが…」 「…賄賂の話が来たが突っぱねた、なんて事が最近あったか?」 「何故分かった!?」 ああ、やっぱりだ。 俺は立ち上がり、周囲の男達を見回した。 若い男もいる。恐らく歳は20に行くか行かないかだろう。一番年齢が高そうな男は、40か50くらいだ。つまり、極端に若い者や極端に老齢の人間はいない。 「…俺達が餌になる番か」 『あ、あー、マイクテスト』 急に、室内に声が響き渡った。 周囲を見回してみると、天井の各所に、スピーカーが設置してあるのが見える。 声は、そこから流れているようだ。 聞き覚えの無い声だった。若い声にも、年取った男の声にも聞こえる。 『さて諸君、俺の名はビートルジュース。ロワイアル・ファミリーの者だ』 ロワイアル・ファミリーの名を聞いた途端、この部屋にいた者達が色々なリアクションを取った。 絶望の声を上げる者、呆然とする者、怒りの声を上げる者。他にも色々だ。 「この声が…ビートルジュース…!」 そして俺も、自然と言葉を呟いていた。 ビートルジュース。顔の片側を幾何学模様のタトゥーで覆った、ロワイアル・ファミリー最高幹部の一人にしてこのゲームを考案した狂人。ここにきてこの名を何度も聞き、そして一度は一瞬だが実際に対面した。だが、その肉声を聞くのはこれが初めてだったのだ。 『今日お前らに来てもらったのは他でもない。死んでもらうためだ』 「何だとこの野郎!!」 最初から威勢の良い、ここにいる男達の中では一番体格の良い男が吼えた。だが、それには答えず、スピーカーから響く声は話を続けていく。 『だが、ただ死んでもらうのは面白くない。そこで、ゲームをしてみることにした』 スピーカーから響く声の主の言葉に、その場にいた者達が口々に色々と声を発する。 だがどれにも応答する気配は無い。やはり俺達は餌に過ぎないというわけか。 『その部屋の中央に穴が開いているだろう?そこは、この街の地下にある遺跡へと繋がっている』 飛び込めと言うんだろう。俺はその場に座り、次の言葉を待った。 『手っ取り早く言おう。そこから遺跡へ降りろ。そして徘徊するリーバードから逃げ延びて、出口まで辿り着けた奴がいるなら…』 一泊を置き、ビートルジュースは宣言する。 『もうそいつには、ロワイアル・ファミリーは手を出さない。約束しよう』 その言葉には、不思議な説得力があった。 この中でも比較的非力そうな者達から、歓声のような安堵のような声が上がる。生き延びられる可能性を見つけたのだから当然か。 だが、そんな彼らの声を、一人のスーツ姿の男の大声が遮った。 「馬鹿を言うな!ディグアウターでもないのに、武器の一つもなしに遺跡に飛び込めだと!?自殺行為にも程がある!!」 スーツの男の訴えに、一同に生まれた希望とでもいうものが、縮んでいくのが分かる。 そして、俺にはこの先の展開もある程度予想がついた。意識を失う前に、マクスウェインが言っていたからだ。『武器を持った人間だけがこの賭けを盛り上げられる』と。 『後ろの壁を見ろ』 そう言われて、男達が皆自分達の背後にある壁へと振り向いた。 それを合図に、少しの間地響きのような音が鳴る。 やがて、壁が上に上がり、何段もある棚のようなものが現れた。 そしてその棚のスペースに、色々な武器が置いてあった。 拳銃は言うに及ばず、ショットガンやライフルが見える。 最初は皆怪し過ぎて手を出す者はいなかった。 だが、スピーカーの声が煽るように促す。 『それを使え。勿論弾丸も用意してある。実弾だ。なんなら近くにいる奴を撃ってでも確かめてみろ。まぁ、生き延びたいなら無駄に人数を減らす必要は無いがな』 スピーカーの促す声にも、しばらくはまだ武器に手を伸ばす者はいなかった。 だが、ここでも最初に武器に手を伸ばしたのは、体格の大きい労働者の男だ。 男は一丁のショットガンを手に取ると、おもむろにその銃身を頭上へと掲げた。 紛れもない銃声。 一瞬後に、天井に設置されていたスピーカーの一つがバラバラになって落ちてする。 「間違いない、本物だ…!!」 男のその言葉を皮切りに、他の男達が動き始める。 そして、皆思い思いの武器を手に入れていく。 「よこせ!それは俺が目をつけたんだ!!」 「ふざけんな!!俺が先に手に取ったんだぞ!!」 同じ武器を目当てに、争う男達まで現れた。 こんな状況でも、いやこんな状況だからこそ現れる人間の浅ましさに、俺は呆れを通り越して苦笑した。きっと、あの会場にいる貴族達も笑っているだろう。反吐が出る。 最早、この時点で俺は自分の生存を諦めていた。 あの会場で見た、凄まじい大きさの鉄の獣。どんな武器があったって、アレを相手に生き残れる気がしない。 なので、俺が壁から出てきた武器の山に手を伸ばしたのは、男達が思い思いに武器を手に取った後だった。 俺は銃を探した。なるべく、『その時』が来たら引き金を引きやすいように軽いものを。 「…これは…」 武器の山の中に、見慣れた小型の拳銃が見つかった。 マーガレット・カーライルが持たされ、俺を撃とうとして撃てなかった銃。そして、俺がボスを撃つことができなかった銃。 あの時の銃と同型のものだった。 「…お誂え向きだな」 本物はボスに撃たれた時、取り落としてから見ていない。ボスの事務所に落ちているのか、それとも警察かマフィアが持ち去ったかだろう。いずれにしろ、もう俺の手元に戻る可能性は低い以上、今この手にある銃に頼るしかなさそうだ。 それを一頻り眺めてからポケットに入れた時だった。 「お前ら、離れろ!!」 その大声と共に、あの労働者の男が、グレネードランチャーを手に部屋の一角にある鉄の扉に銃口を向けていた。 間髪入れず、弾丸が発射され、鉄扉に着弾する。 凄まじい爆発音に、俺は耳を塞いだ。 だが、煙が晴れたそこには、傷一つ付いていない鉄扉があるだけだった。 当然だろう。ここにある武器で脱出できるようなら、こんな賭けが成立する筈がない。 労働者の男はそれを見ると、諦めたようにグレネードランチャーをその場に落とし、今度はそれより巨大な銃を持ち上げる。 ミニガン。携帯用の機関銃。弾丸がトイレットペーパーのように繋がれている。 「一瞬で弾切れして終わりだぞ」 俺は思わず、男にそう言わざるを得なかった。 あの鉄の獣には有効な武器かもしれないが、それでも一瞬で殺せる火力ではない。それを、人間一人が持ち運べる程度の弾数でどうにかできるわけがないと思ったのだ。 「うるせぇぞ、黙ってろ!!」 男が敵意のある眼を俺に向けてくる。俺は黙るしかなかった。 『全員、武器を持ったな?ならその穴へ飛び込め。言っておくが、その部屋に残ろうとは思うなよ。生き延びたければ、降りて遺跡を脱出するしかない』 スピーカーからの言葉に、何人かの男が穴の中を恐る恐る眺める。だが穴の底は暗闇に覆われ、見ることは叶わなかった。 「ここから…落ちたら転落死するんじゃないか?」 「ずっとここにいれば…助けが来るかも」 非力そうな者達が口々にそう言う。 それを、先程異議を申し立てていたスーツの男が否定した。 「多分…転落死はしないだろう。あの声は『ただ死んでもらうのは面白くない』と言った。それにこんなに大量の武器まで用意したんだ。転落死で終わりになんてする筈がない」 男の言葉に、何人かが頷く。 今度はこれまで喋らなかった、壁際にいた痩せて薄汚れた作業着を着た男が言った。 「逆に、ずっとここにいたら撃ち殺されるんじゃないか?」 男の言葉を最後に、その場を沈黙が覆った。 若い男が泣き出した。こんな状況に陥った現実を受け止められなかったのだろう。 それを合図にしたかのように、男達の表情を暗い影が覆っていく。 仕方ないか。俺のように大体の事情を掴んでいる者は恐らくこの場には殆どいないだろう。 先に逝ってやる。そう思い、穴に向かって一歩を踏み出した時だった。 「皆何してる。こんなに人数がいてこれだけ大量の武器があるんだ。脱出できないなんてことは無いだろ!!」 そう言うと、体格の良い労働者の男が、ミニガンを担いで踏み出した。 「このままここで死ぬのを待つくらいなら、俺は行くぞ!お前らも生き残りたければ、俺について来い!!」 そう言い残し、男は躊躇い無く穴の中へ落ちて行った。 それを見送った後に続くように、他の男達が言う。 「よ、よし!俺も行くぞ!!」 「俺もだ!さっきあいつが言ったように、固まって行った方が生き残れるかもしれない!!」 その声を皮切りに、男達が次々に穴へと飛び込んでいく。 やがて、2人の小心者と俺だけが残されていた。 一人は俺の後ろの壁際で、現実を受け入れられず蹲ったままの小男。そしてもう一人は未だに武器を漁り続ける若者だけだ。 「…仕方ない」 このままここにいても、何も変わらないだろう。 そう思い、俺は意を決して、穴の縁へと歩いた。 ゆっくり深呼吸する。片手はポケットに入った拳銃を握ったまま。 『ああ、そうそう』 不意に、頭上のスピーカーから声がした。 このタイミングでまたスピーカーから声が出てくるとは思わなかった俺は、驚いて上を見上げる。 その瞬間、不意に背中を押された。 驚愕した直後だったため不意を衝かれた俺は、なすすべなく穴の中へ落ちていく。 だが、それでももがきながら、俺は振り返った。 俺を押した――先程まで壁際に蹲っていた小男――は、俺を見下ろして醜悪な笑みを浮かべていた。 顔の片側に、幾何学模様のタトゥーを浮かび上がらせて。 「幸運を祈るぜ、スティーブ・ハント」 落ちながら、俺は絶叫していた。 「お前は…何なんだああああぁぁぁぁぁぁ!!!」 しばらく続く落下感。どれほど深いのだろう。 まんまと一杯食わされた。俺は悔しさを噛み締めた。 まさか、あの中に『ビートルジュース』本人がいたとは。 マクスウェインの言っていた『特等席』の意味がこれとは思ってもみなかった。 そう思いながらも、妙な違和感が心に燻る。 ビートルジュースという男は、前に一瞬だがこの目で見たことがある。 その像と先程見た男を照らし合わせようとしても、違和感が残るのだ。 だが、何が違和感なのか、説明ができない。 そこまで考えて、俺は思考を打ち切った。 考えても分からないし、恐らく答えも出ないだろう。それよりも、今自分が直面している問題の方に意識を集中するべきだ。 そう思った瞬間、身体に衝撃が来た。 「ゴホッ!!」 治療されたばかりの腹の銃創や、マクスウェインの部下に殴られた痣が衝撃で痛む。 俺は身を起こすと、溜まらず床に血を吐いた。 「お、おい!大丈夫か!?」 横から声をかけられる。俺より先に降りた奴か。 辺りは薄暗く、目が慣れていないせいでまだ視界が開けない。だが、どうやら床にクッションのようなものがあるようだ。このお陰で転落死はしないで済んだ。 漸く目が慣れてきたので、俺は周囲を見回した。 降りた穴の直径より少し広い程度の四角い部屋だ。俺の他には先程声をかけてきた男しかいない。 部屋の一角に、先程と同じような扉があった。ただし、ノブが無い。 俺は図書館で見た資料を思い出した。確か、扉の横に開閉を操作するスイッチがあるんだったか。 そこまで把握してから、俺は男の方に目を向けた。 よく見れば男というか、少年だ。ジャケットにジーンズ。まだ20にも満たないだろう幼さの残る顔。茶色の短髪をした白人だ。 先程の部屋から持ち出してきたのはライフルらしい。マガジンも何箇所かのポケットに突っ込んでいる。 その少年を眺めると、自然と疑問が俺の口をついて出てきた。 「あの場所に集められたのは、少なからずロワイアル・ファミリーと関わった奴らだった筈だ。お前もそうか?」 「…何で急にそんなことを」 「話したくないならいい。ただ確認しておきたかっただけだ」 それで会話は終わりかと思ったが、少年はしばらく迷ってから話し始めた。 「俺も詳しくは知らない。ただ、親父がヤバイ連中から金を借りたって事しか」 俺は思わず呻き声を上げそうになった。 まだ未成年で、しかもほぼ無関係とさえ言えるような奴じゃねぇか。何でこんな地獄に送る必要がある。 「バイトから家に帰ったら、親父もお袋もいなくなってて、突然覆面被った男達に襲われたんだ。頭を殴られて、気がついたら、ここに…」 「分かった、もういい。それより、他の奴らは?」 俺の問いに、少年は視線を扉の方に向けた。 「あそこから出て行った」 俺は生唾を飲み込むと、立ち上がった。 そして扉に向かう。後ろから少年が声をかけてきた。 「お、おい!あんたも行くのか!?酷い怪我してるみたいだが」 「ああ。この先はいつ死んでもおかしくない。お前も覚悟ができてから来い」 そうして行こうとしたが、少年は俺の隣まで歩いてきた。 「だったら一緒に行くよ。先に出て行った奴らも、固まって行った方が生き残る可能性は高くなる筈だと言ってたし」 俺はその少年の言葉を聞き、意識を失う前にあのホールで見た映像を頭に思い浮かべる。 あんなでかい獣が何匹もいるなら、幾ら人間が集まろうと生き残れる気がしない。 「…一緒に行くなら、一つだけ条件がある」 「何だ?」 「もし死んでも、俺を恨むなよ」 俺の言葉に、少年は力無く笑みを浮かべるだけだった。 そして、俺達は扉を開けて先に進んだ。 どうやら、ロワイアル・ファミリーはやはり誰一人として生かすつもりは無かったらしい。 扉の先は、広大な空間だった。 右を見ても、左を見ても、暗闇で見えなくなるまで壁が続き、天井さえもどこまで高いのか分からない。 申し訳程度の照明は、少し先までしか見渡すことができないようになっていた。 そして…その広大な空間の中で、怒号や絶叫がそこかしこから聞こえてきたのだ。 「おい…今来た扉、開くか?」 俺は背後の少年にそれだけ尋ねた。 背後で、少年が扉のスイッチを操作する音が聞こえる。 「あ、開かない」 あの部屋に戻ってくる者がいなかったのは、こういうカラクリか。この扉は、奥の部屋から操作すれば開くが、こっちからは開かないようになっているのだ。 「とにかく、壁伝いに逃げるぞ」 俺は少年と共に、壁伝いに走り出した。 やがて、ここへ来た扉が見えなくなった頃、地響きのような音が聞こえてきた。 後ろから。 即座に振り向く。背後にいた少年も、走りながら振り返っていた。 体高2.5メートルはありそうな、四足の鉄の獣が、俺達を追いかけていた。 あまりにも足が速い。見る間に、俺達に接近してくる。 そして少年の眼前まで接近したそれは、その巨大な頭部を少年に向けて振り払った。 「危ねぇ!!」 最初は助けるつもりなど無かったんだが、やはりこんな極限的な状況下だと、思考と行動は必ずしも一致するわけではないらしい。 俺は振り返り、少年を突き飛ばそうとしていた。 だが一瞬間に合わず、少年は鉄の獣の突進をまともに喰らい、俺も巻き添えになる形で吹っ飛ばされていた。 そして今に至る。 意識を失っていたのは恐らく数秒くらいだったろうが、1時間くらい寝ていたような感覚だ。 気がつくと、俺は壁際に倒れていた。 全身が痛い。肋骨が何本か折れたようで、呼吸するだけで体中に激痛が走る。 思えば、ボスに撃たれたのに始まり、マクスウェインの部下に散々殴られ蹴られ、そして今の鉄の獣の突進。 何でまだ死なせてくれない。そうとすら思った。 傍らには既に事切れた少年の死体。 先程俺達に突進を見舞った鉄の獣は、どういうわけか姿を消していた。 獲物はどちらも仕留めたと思ったらしい。 俺は、どうにか壁を背にして身を起こした。それだけで全身が焼かれるような痛みを訴え、口からは溢れるように血が流れる。 それでもどうにか上半身を壁に預けると、俺はポケットを探った。 先程拾った拳銃がどこかに行っていなかったのは不幸中の幸いだった。 俺は、震える腕で拳銃を持ち上げると、その銃身を米神に当てた。 遠くで労働者の男がミニガンの銃弾ををばら撒いているのが見える。 と思えば案の定、見る間に弾切れだ。その瞬間、何匹もの巨大な鉄の獣が、男に群がり凄惨な肉塊へと変えていく。 ああ、どうして俺はこんな地獄にいるんだ? 最初は普通の探偵だった筈だが。人生一寸先は闇とは言うが、どうやら俺はいつのまにか、底の無い闇の中にダイブしちまってたらしい。 そうぼんやりと考えていた。米神に銃口を当てたまま。 だが俺は少なくとも、さっきの男のような死に方は御免だ。 そうなるくらいなら、自分で決着をつけた方が何万倍もマシだ。 だが、あの獣に見つかるまでは、もう少しこの暗くて寒い地獄を眺めてやる。それが俺の、ささやかな抵抗だ。 そして、俺は目の前の広大な空間を眺めた。 先程よりも暗さに目が慣れたせいだろう。そこかしこに、元は人間だったのであろう肉塊が見えた。 もう絶叫も銃声も聞こえない。とっくに全滅してしまったのだろう。 体長3メートル、体高2.5メートルくらいの鉄の獣が、そこかしこをうろついているのがここからでも見えた。 ああ、見れば見るほどろくでもない光景だ。 俺は痛みを堪えながら、首を回して周囲を見回した。 そして、信じられないものを見た。 これは死ぬ間際に見るタイプの夢か?そう思わずにはいられなかった。 無数の鉄の獣達。そいつらの中央に、背の低い子供が立っていたのだ。 いや、顔が見えないほど遠くにいるので、実は大人なのかもしれないが。 それでも、その背の低さや体格は、子供としか思えなかった。 「な…」 驚きから、声を発してしまった。 その途端、視界にいた無数の獣達が一斉にこちらを振り向く。 さっきまでは、その瞬間に引き金を引いていただろう。 だが、今は。 立ち位置や、全く攻撃されていない所から見て、俺は自然とこう思っていた。 あの子供が、この獣達を操っているのか、と。 だから、俺はその子供に銃を向けた。 視界に、持っていた銃が映る。その銃を見た途端、今度は別の思いがこみ上げてきた。 「(あぁ…マーガレット、そういやあんたは子供を助けて欲しいと依頼したな。それが最初だった筈だが、今や俺は子供に銃を向けちまってる。すまない)」 気がつけば、柄にも無く胸中で謝罪していた。 ああ、ヤキが回ったな。そう思いつつ、獣達が襲い掛かるのを待った。 襲い掛かってきた瞬間に撃つつもりだった。当たろうが外れようが構うものか。 震える腕を必死に堪え、俺は待った。 だが、獣達は襲ってこなかった。 代わりに、獣達の中央にいた子供が、段々と俺に近づいてくるように見えた。 霞む視界の中で、段々その姿がよく見えるようになってくる。 黒に金色のラインが入ったワンピースを着ている。裾が長く、ギリギリで床に着かないくらいだった。 髪の色は銀色で、腰くらいの長さだ。 そして、その顔は見えなかった。銀色の仮面を被っていたからだ。 しかし次の瞬間、その子供が自ら、顔に被っていた仮面を取り外していた。 見覚えのある顔だった。 その口から、出る筈のない名が出た。 「…マーガレット?」 ――今思えば、これが俺の運命を変えるものだったのだ。 ――この、地獄の底の出会いが。 第三章へ 刹那に生きる者・目次
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先程まで哀れさすら誘うまでに弱々しく鳴いていた物からの思わぬ反撃に、団員は驚いて大きく飛び退いた。その拍子に体勢を崩し、地面に座り込んでしまう。倒れかけた上半身を支える両手指が、炙られ乾いた土を掻いた。 枯れ草の束の中に入っていたもの。それは、外から見ると筒の形をした植物だった。いくつもの節があり、筒の内側は中空で、節ごとに小さな部屋に分かれている。その部屋のいくつかにあらかじめ穴を開けておき、熱すれば中の空気が逃げ出して笛のように鳴るようにしたのだ。 穴の開けていない部屋は、時間差をおいて中の空気の膨張に耐えきれず破裂する。 単純な仕組みの仕掛けだが、突然起こされて目の前に火という条件では、その仕組みを解き明かして冷静になれるものはいないだろう。 爆発する音に更に戸惑いと恐慌を重ね、消火作業は難航を極めているのだった。 騒ぎを後目に、ネトシル達は見つかる事なく動物達の収容されているテントに忍び寄る。 ネトシルは小さく鼻をうごめかせた。微かな獣の匂いを嗅ぎ取り、後ろについたエルガーツを振り返って頷いた。 エルガーツを外に立たせ、息を潜めたままネトシルはテントの垂れ幕をめくる。 「どうだ?」 「当たりだ」 そこには、汚い檻に閉じ込められた動物達がいた。ごく僅かに混ざった血の臭いを、ネトシルの鼻は捉えていた。今日も虐待があったのだろう。頭に血が昇りかけたが、今はそれどころではない。 ネトシルは屈んで小熊の檻に顔を近付けた。見知らぬ人間の匂いに怯え、威嚇する小熊に語りかける。 『怖がらなくていい。あなた達を助けに来た』 人間の意志が自分に通じた事に戸惑った小熊だったが、ネトシルの目を見てそこに嘘がない事を感じたようだ。威嚇をやめて大人しくなった。 『ありがとう』 微笑んでナイフを握る手に力を込め、錠を壊しにかかった。まだ力の弱い小熊と侮り、檻が木製なのも幸運だった。錠を留めた檻の入り口を、ナイフの刃で傷をつけ柄で殴って少し砕けば、簡単に錠は取れた。 外れた錠が地面に落ちる音と共に、小熊の目が輝きを取り戻した。 念の為、今にも檻から飛び出しそうな小熊に少し待つように言い、一度テントの外に出てエルガーツに耳打ちする。 「誰か来たか?」 「いいや、消火に大わらわみたいだ。でもそんなに長くは保たないと思うから、急いで」 「分かった」 すぐさまテントに引っ込んで曲馬に使われた馬の柵を外し、最後にライオンの檻へ向かう。 「これは……時間がかかりそうだ」 ライオンの檻は、流石に頑丈な鉄製だった。錠も、小熊のものとは比べようもないほど上等にして堅固だった。 ネトシルは小熊と馬を先に逃がす事にした。 『ここから出て、自分達の場所へお帰り。どこか住み良い所を探すといい。二度とここへ戻って来てはいけない。明るい方へは行くな。火がある。人間がいる。危ない』 それを伝え、檻を開けてテントの端を持ち上げた。 以前逃げようとした経験からか、躊躇うような仕草を見せた動物達だったが、『早く』と呼びかけるネトシルの声に、おずおずと歩き出した。 久しぶりに誰にも牽かれる事なくテントから出た動物達は、歓喜した。ネトシルに一度だけ振り返り、感謝の意を示しながら暗闇の中を駆け出して行った。 彼らにはこの夜闇も、輝かしい自由な日々への道なのだろう。足取りは、しっかりとしたものだった。 その様子を見て、エルガーツも動物達の感情を何かしら感じたらしい。知らず頬が緩んでいた。 「お疲れ、あれで全部か?」 「いや、ライオンがまだだ……それと鳩がいない」 あぁそういえばいたな、とエルガーツは顎に手を当てた。 「鳩は手品師のテントかも知れないな」 「なるほど。ライオンの檻が鉄製で、私にはどうにも。手伝ってくれ」 「おう」 中を指したネトシルに頷き、テントの裾を持ち上げてエルガーツが中に入る。ネトシルがそれに続こうとした瞬間、背後から声がかかった。 「悪いな姉ちゃん、悪戯はそこまでだ」 戻る 進む .
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「サーカスっていうのは、とっても楽しい見世物の事だよ! 手品とか、曲芸とか、ピエロの寸劇とか、ダンスとかやるんだ」 至極楽しそうに派手な身振り手振りを交え説明する。この男、サーカスの回し者か何かだろうか。 「行って損はないと思うよ? だってこのサーカスは動物の曲芸が凄いと評判で」 だむっ! ネトシルが机をぶっ叩いた音だ。同時に立ち上がっている。そして顔を上げて旅人を物凄い目つきで睨む。 「……な、なにか?」 「もう一度、言ってくれ」 「は? えーと、『行って損はない』」 「その後」 「『凄いと評判で』?」 「その前!」 「『動物の曲芸』」 ネトシルの目の色が変わった。やや乱暴に椅子に腰を下ろし、顔を背ける。 「……こう」 「へ?」 ネトシルが押し殺したような小さな声で何か言った。顔も赤い。 二人に挟まれたエルガーツはもうどうしていいかわからない。とりあえず聞こえなかったから聞き返してみる。 「今、何て?」 「……行こう、サーカス」 ネトシルは赤面したまま、もう一度言った。 「ひゃっほぅ! そぉこなくっちゃねぇ!」 旅人は嬉し気に我が意を得たりとばかりぱちんと指を鳴らした。 ネトシルは言うだけ言うとまた捻り麺(おかわり。特盛)をかき込む作業に戻った。 旅人はエルガーツにずずいっと寄ると小声でぼそぼそと話し掛けてきた。 「ねねね、あの子君の彼女?」 「いや……」 断じて違う。間違っても恐慌状態の人間に容赦なくビンタ浴びせるような奴彼女にしたくない。 「じゃあさ、僕に紹介してよ! 思ったより可愛いじゃん照れちゃったりしてさ。最初すっぱり駄目だって言ったから後から行きたいって言うの恥ずかしかったんだねー。あの顔見た? ほらほら耳まで真っ赤だよかーわいー」 「止めといた方が……いいと思う……」 エルガーツは搾り出すようにようやくそれだけ言った。 息が苦しい。空気が粘度を持つ感覚。背中は汗で冷たい。 旅人は気付かないのだろうか?ネトシルから発せられる、この凄まじい怒気に。 照れを隠す度この空気に当てられていては身が持たない。 むしろここでこいつに押し付けてしまうのも手かと一瞬エルガーツは思った。 「さぁさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 我らパキャルコサーカス団の、剣舞に手品に歌ダンス、動物達のびっくりショー! 楽しい楽しい見世物が、もうすぐ開演、始まるよォ!」 自身もボールのように肥えたサーカス団長が玉に乗り、紙吹雪を舞い散らせながら声を張り上げる。鞭で玉や地面を叩いてバランスを取り、セリフはまるで歌うような調子だ。 心に翼を生やして飛ばすような笛の音がする。高鳴る胸の鼓動のような太鼓の音もする。 ざわめきに乗って膨れ上がる興奮。辺境の村の最大の娯楽。それが巡業サーカスだ。 大人も子供も老人も、揃いに揃って顔輝かせ、楽しみ渦巻くサーカスだ。 エルガーツはもう顔にわくわくと書いてありそうな表情をしている。ネトシルも口元に小さく「喜」くらいは書いてありそうだ。 芝居小屋は次々と人々を飲み込んでいき、中は始まる前から興奮と熱気でごった返している。その興奮の中には、サーカス団員のも少し交じっているようだ。 小屋に入って空いている席を探す二人に突然声がかかった。 「おーい、こっちこっちぃ!」 見ると先程の男が手を振っていた。 「お二人さんの席も取ってあるよぉ!」 準備が良かった。 聞けば早くから並び、なんと開場一番に小屋に入り、いい席を取ったそうだ。 成る程中央で前、舞台全体がよく見える席だ。舞台の幕はまだ下りている。 旅人はニッコリとエルガーツに笑いかけた。目が『その子を僕の隣に』と言っていたが、ネトシルはエルガーツが動くより早く男から一個空けて座った。男は目に見えてがっかりした。 仕方なくエルガーツが旅人とネトシルの間に座った。両方からちらっと睨まれ一瞬『帰っていいかな』と思ったが、チケット代が勿体ないので止めた。 席につくと、ネトシルは幕を見据えるように視線を向けたまま、小さく言った。 「エルガーツ、もし私が自分を抑えられなくなったら、その時はお前が私を止めてくれ」 「え、それはどういう……」 意味だ、と問おうとした時、開演を告げるラッパの音が高らかに鳴り響いた。 静まり返るが故に、他人の息遣いや自分の鼓動が煩いような雰囲気。破る事の出来ない結界のような沈黙に包まれ、二人はそれきり口を閉ざした。 一気にボルテージの上がる空気。息がつまりそうな密度の高い期待。緊張感。 それが最高潮に達した時、いよいよ幕が、上がった。 戻る 進む .
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まず現れたのは先程の団長だ。 相変わらず玉に乗っているが、シルエット的に上下をひっくり返してもわからないだろう。 団長は玉に乗ったまま器用に礼をする。 「お集まりのーォ皆々様ッ! よーォこそパキャルコサーカス団のショーへッ! ワタクシ、団長のパキャルコです」 団長の名前だったんだ。変な名前。親も考えて付けろ。 ネトシルもエルガーツも旅人も思った。というか会場中が思った。 そして当のパキャルコはそんな事慣れっこだった。 漂う憐憫の空気を意に介さず口上を続ける。 「これより! ワタクシども始めますのはァ、驚天動地のサーカスにィィございマス!」 何度も上げている口上だからか、言葉の端々に妙な節回しがついてそれだけで少し滑稽だ。 ふと、旅人が無言でエルガーツの肩をつついた。顔を向けると、サーカス小屋の外で売っていた果実飴を三つ持っている。どこまでも用意の良い事だ。 うち二つを渡し、顎でネトシルにも、と示した。ネトシルは熱心に団長を見つめて口上を聞いていた。彼女もサーカスが初めてだからだろう。 同じように肩をつついて飴を渡す。ネトシルが顔を向けるとエルガーツの向こうで旅人が『僕からでーす』とばかり自分を指し微笑んでいた。エルガーツは突っ返すかなと思ったが、意外と嬉しそうに受け取り食べ始めた。 ……餌付けに弱いのか? エルガーツはそこはかとなく不機嫌になった。嫉妬、というよりは、難解なパズルに取り組んでたら、いきなり横から現れた人にサッと解かれた気分だった。 「以上が本日の演目デス! さて、口上はこれくらいに致しましてェ、それでは始めたいと思いマス! 皆々様、ごゆっくりお楽しみ下さい!!」 そうこうしている内に口上は終わったらしい。演目説明を聞き逃した事に彼は気付いたが、知らない方が面白いかも知れないと気を取り直した。そして、さっきの不機嫌はどこへやら、期待に満ちたわくわく顔になった。 外で団長が客寄せしていた時に演目についても言っていた事を、どうやら完璧に忘れているらしかった。 まず最初は曲芸。 壮麗なファンファーレと共に、きらびやかな衣装を纏った四人の女達が舞台の上に現れ、衣装の裾を閃かせ煌めかせながら様々な舞や雑技を披露していく。ある種艶めかしい動きに思わず「おぉ~」とか言ったエルガーツはネトシルに冷ややかな目をされた。 自分だってさっき下の人の掌のみを支えに逆立ちした人には目を輝かせてた癖に。思ったが口にはしなかった。 両手合わせて六枚もの皿を回したり、酒壜のような形の棒を互いに投げ合ったり、色とりどりの旗をかざして踊ったり、うっとりさせつつも次第に興奮が高まるような素晴らしい物だった。 しかし「うわー」だの「すごーい」だの「今の見た!?」だの隣の旅人程歓声を上げている人もいなかった。 正直ちょっとうるさいんですけど。エルガーツが横目で睨んだが、旅人は気付かないようだった。 その次の演目は手品だった。 燕尾服にシルクハットの出で立ちで現れた手品師が、帽子の中から、ハンカチの中から、燕尾服の裾から、懐から、何もない所から、いたる所からあらゆる所から純白の鳩を出してみせた。 ただ彼にとって不幸だったのは、飛び立って舞台袖に消えるはずの鳩達が全てネトシルに飛び寄って止まった事だ。 当然、騒然となった。 結局観客と手品師とその助手の全員に見つめられ、仕方なくネトシルが威嚇の気配を発するまで、鳩達はネトシルの頭や肩に居座り楽しげに「クルックー♪」などと鳴いていた。旅人はしきりに果実飴で鳩を呼ぼうとしていたが、見向きもされなかった。つくづく不憫な男だった。 髪の長い歌姫が、きらきらと光る素材のドレスを纏って歌い、誰も彼もが聞き惚れる。 化粧を施し奇抜な衣装を着た二人のピエロが、滑稽な動きで菓子を奪い合い、誰も彼もが笑い転げる。 短い胴着にたっぷりとしたズボンの異国風の服を着た男が、布を巻いた二本の曲刀を操り、誰も彼もが息を飲む。 あっという間に時間は過ぎ、とうとう最後の演目になった。 「それでは参りましょう、本日最後の演目にして我がパキャルコサーカス団の一番人気の見世物、 動物達のショーです!」 それを聞いた瞬間、にわかにネトシルの表情が変わった。今日一番目が輝いている。 爛々と。煌々と。炯々と。 再びファンファーレが高らかに鳴り響く。 可哀想な名前の団長に連れられ、二本脚で歩く、チョッキを纏った小熊が現れた。 舞台中央で小熊は台に乗り、団長と一緒に可愛らしくお辞儀をした。喝采の声が観客から上がる。 おもちゃ箱のような楽しく明るい音楽が奏でられると、ひらひらとした裾の短いドレスを纏った少女が二人現れ、裾をつまんで一礼した。それと同時に団長は舞台袖へ消える。 音楽に合わせ少女が右手を差し上げる。すると小熊も同じように右手を上げた。 少女がその手を振ると小熊も短い手を一生懸命振る。 その愛らしさに観客達は魅了された。 「きゃー!! 可愛いー!」「いやーん今こっち向いたっ!」「ね、ぱぱあたちくまさんほしい!」「クマちゃんこっちも向いてー!」「私にも手を振ってー!」「彼女にしてー!!」「結婚してー!!」「さらってー!!」 何か色々間違っている気がする。男性陣は同じことを思った。 少女達と手を繋いで小熊は楽しげに体を揺らし、最後は少女達がくるりとドレスを翻して回ると、その繋いだ手を軸に宙返りをした。それを見た観客の拍手たるや、まるで嵐の日の雨の音のようだった。 黄色い声は稲妻に匹敵した。 小熊は最後に観客全員に手を降りながら、退場して行った。 「いやぁ可愛かったねぇあのくまさん! もう何?! 焦げ茶色の妖精!? 踊るクマなんて初めて見たよー!! 凄いね、一家に一匹欲しいよね!」 あの手の振り方がさぁ、とかひたすら喋り続ける旅人に、エルガーツは耳栓を持っていない事を激しく後悔した。それでも、彼もかなり興奮したのは動かしようのない事実だ。 ふとネトシルをちらりと見る。 戻る 進む .
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「いやー楽しかったねぇ!」 何も知らない旅人は顔を上気させてエルガーツの背中をばんばん叩いた。 「そっちの彼女も最後立ち上がっちゃって、意外と熱くなるカンジの人だったんだねぇ!」 とかなんとか言い出したのでネトシルはしどろもどろに「ま、まぁな」とか言って誤魔化した。 「サーカスはまた移動するけど、今夜くらいはここに泊まるかな? 夜中にこっそり見に行っちゃおうかなぁ」 ぼそりと呟いた旅人の言葉にネトシルとエルガーツはぴくりと反応した。 それだ。 ネトシルとエルガーツ、それに興奮醒めやらぬ様子の旅人は、宿に戻った。 旅人はネトシルに「今夜僕の部屋に来ない?」などとそのものずばり過ぎる誘いをかけていたが、最早返事もされなかった。 それでも旅人にめげた様子はない。 サーカスの為に客が多く、ネトシルとエルガーツが男女の組にも関わらず相部屋にされたのは逆に好都合だった。お互いの部屋を行き来すれば音が立つからだ。 宿の一室で、二人は声を潜めるようにして相談を交わす。 「……最優先は」 「動物達を逃がす。それと、少しだけ」 「やり過ぎるなよ」 「わかってる」 「まぁ……信じとくよ」 「ありがとう」 ふ、とどちらともなく息をつく。小さく。 「問題は動物達が団員の所に行かない事だな。それに団員に気付かれないようにするのが厄介だ」 エルガーツが腕を組んで眉を寄せた。 「それについては簡単だ」 対照的にネトシルはさらりと答えた。 「私に考えがある」 そして口角を上げる。仄かに底意地の悪い、獰猛な笑みだった。 夜が更けてゆく。サーカスの興奮も、それにつれ鎮まってゆく。 ひとときの夢のような祭が終わりを告げた後は、誰もが寝床で続きを見るのだろう。晩くまで今夜の事を語り合っていた者達も眠りに就いた頃、ネトシルは仮眠から目覚めた。 目を開けると、手燭の明かりの中に、エルガーツの顔が浮かび上がっていた。手燭の眩しさに二、三度まばたきをしてから目で問いかけると、頷いた。仮眠している間に準備は出来たらしい。 先にエルガーツに仮眠を取らせ、夜目の利くネトシルが野に入り材料を手に入れる。次にエルガーツが起きて代わりにネトシルが休み、エルガーツが仕掛けを作る。部屋の隅に置かれたその仕掛けを、音の立たないようにそっと抱え、二人は部屋を出た。 獣達を、鞭の虐待から救う為に。二人は、夜闇の隙間を駆ける。 誰も起こさぬよう細心の注意を払って宿を抜け出す。鍵が掛かっているが内側からなのですぐに外れた。 国が乱れる以前は、家の戸を閉ざす習慣などなかった。 良き時代の思い出が、エルガーツの胸に爪を立てて過ぎった。振り払うように、先を行くネトシルを追う速度を上げる。 錠の落ちた家々、頭上の星々が後ろに流れていく。 ネトシルは猫が歩く程の足音しか立たないのに、こんな時ですら足が速かった。あっという間に村外れのサーカス小屋へたどり着いた。 エルガーツは物陰に隠れ、自分が持ってきた分の仕掛けをネトシルに渡した。受け取ったネトシルはサーカス団員の寝息の立つテントに息も足音も潜めて近付き、その仕掛けをテントの傍に置いて回る。 仕掛けは、少し見ただけでは枯れた細長い草を一掴み、集めて束ねただけの物に見えた。草の束の内側には、別種であるがやはり草が入っているのが合間から見える。こちらはまだ青い。 最後にネトシルは手燭を傾け、その仕掛けに火を放った。細長い草に一気に火が広がる。 全ての仕掛けに火を移し、素早くネトシルが物陰に隠れると、それを見届けたように、 ぴぃっ、ぴぃぃぃぃっ! 仕掛けが甲高い音を立てた。 「な、なんだぁ……?」 ぴぃぴぃと夜空を突裂く音を聞き、団員達が起き出した。 そして火に気づき、慌てふためいて他の団員達を起こす。 「お、おいっお前ら起きろ!」「何事だ!?」「何なのこの音……?」「きゃあああ! 火事よ!!」「誰か水、水持って来いっ!」 原因不明の火と音に、団員達の眠っていたテントは大混乱の坩堝と化した。 「あったぞ、これだ!」 苛立ちを積もらせ、最優先の消火より気を散らす笛音をひとまず消そうと原因を探していた団員は、すぐに燃え盛る炎の中から仕掛けを見つけ出した。 何の事はない、どうやら草の塊のようだ。 「へっ、驚かせやがって。ただのゴミクズじゃねぇか」 突き壊せば音も消えるだろう。そう思い、団員は適当な棒を拾って来た。睨み据えられ、怯えるように段々か細くなりつつもぴぃぴぃと鳴き続けるそれに、怒りと僅かな嗜虐心を込めて棒を突き刺す。 先端が触れるその瞬間、 ぱぁんっ!! 「ぉあぁっ!?」 仕掛けが爆ぜた。 戻る 進む .